第6話 上杉鷹山に学ぶ|コラム 先人に学ぶ

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第6話 上杉鷹山に学ぶ

1.上杉鷹山の生い立ち

鷹山は、日向(宮崎県)高鍋藩主(三万石)秋月佐渡守種美の二男として、宝暦元年(1751)7月20日に生れました。 宝暦10年(1760)6月27日に上杉重貞の養子となり、当時窮乏のどん底にあった米沢藩財政の立て直しを計り、藩政の改革も実施したことで知られています。

2.上杉鷹山の経営改革

上杉鷹山の進めた藩政改革は、
(1)質素勤倹を励行し、
(2)産業の興隆、
(3)荒地の開墾につとめたことが特徴です。

具体的には養蚕を奨励し、染色、機織り等には指導者を呼び、米沢織を興す他、製塩、製紙、製陶等各種の産業に意を用い、一方百姓救恤、救荒救民の法を講じ、特に明和8年(1771)堕胎殺児禁止の令を出し、寛政8年(1796)には他藩から移住した百姓を歓迎して、反対に他領への移住は禁じ、専ら人口の増加を図りました。

当時米沢藩では男子に比し、女子の数がすこぶる減少していたので、鷹山はこれを憂え、越後から女子を移住させて藩内の男子に配し、貧困のため結婚のできない者には金を与え、又5人以上の子供のある家には金を与えて扶養する等、大いに結婚及び出産の充実をはかりました。その結果、藩内行政は刷新され、士気の充実、官紀の振粛見るべきものがあり、当時から徳川時代一代の名君と称されました。 鷹山の施政ぶりは、自ら身を以って範を示し、特に籍田の礼を行って自ら鋤耕し、老臣以下にも倣わせました。徳川時代の三大改革が上記の(1)と(3)のみだったのに対して(2)の産業の興隆に努めたという所が、他の改革者と異なって鷹山の評価が高い所以です。

3.上杉鷹山の改革を現代風に捉えると

上杉鷹山の改革は、リストラの基本として良く話が持ち上げられます。
家計を例に考えてみます。
今月も赤字だわと言う時、通常であれば「これとこれを節約しよう」と考えます。
この考えが上記の(1)に該当します。もう少し前向きの人は、収入を増やすために会社の同僚の何倍もの仕事をこなして目標を達成し、給与・ボーナスアップを計ります。
これは当時の社会が農本主義であったために上記の(3)に該当します。
それでは(2)は何でしょうか?
家計で考えれば、脱サラをしてベンチャー企業を起こすといった行為に該当する難しい改革となります。全体的に企業について考えれば、
(1)コストを削減しつつ、(3)生産性を高め、(2)利益率の高い事業分野への転進を図っていくという改革なのです。

4.リストラの基本と言われる所以

上杉鷹山の経営改革がリストラの基本といわれる所以は、上記の(2)が存在していることです。リストラ=コスト削減と勘違いしている経営者が多いのですが、リストラの意味は「事業再構築」、つまり不採算の事業から採算性の高い事業への転進を図ることが本来のリストラの意味となります。ただ、この(2)をすすめていく為には、現在皆が行っているものを、一旦は採算性が悪いという理由から否定しなければなりません。そこがこのリストラの難しい所です。(ビデオデッキが昔と今とでいくらで売っているかをイメージしてみてください)不採算事業は、皆が価値を見出していないのですから採算が合わなくなるのです。ただ無策で不採算事業をやり続けるのではなく、撤退を含めた工夫をしなければなりません。

しかしこの工夫は、教育では取り扱ってこなかった部分でもあり、変革は必ずそれを望まない皆の抵抗に遭います。上杉鷹山はこれを実行した名君であり、現代では日産自動車のカルロス=ゴーン氏がこの変革を行い、名社長といわれています。

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