第7話 上杉謙信に学ぶ|コラム 先人に学ぶ

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第7話 上杉謙信に学ぶ

1.上杉謙信(旧名:長尾景虎)の生い立ち

景虎は享禄3(1530)年に生まれ幼名を虎千代と称しました。 7歳の時より僧侶となるべく林泉寺に入れられ禅僧として修行を積み学問を学びましたが、このときの体験が後の謙信の人となりを形作ったのだと考えられています。 元服した景虎は、本庄らの補佐で初陣を飾りましたが、常に敵に周りを囲まれている時期であり、大変な事態でした。景虎の補佐のもとで晴景が近隣の敵を切り伏せ、一段落した天文14(1545)年今度は上杉氏(長尾氏の主家)の老臣黒田秀忠が反旗を翻しました。徐々に力を付け、主家をしのいでいく長尾氏を見るにつけ居ても立ってもいられなくなっての挙兵であり、景虎の攻勢に一度は降伏したものの、翌年には再度叛き、討伐されました。黒田氏を討伐したことで景虎の名声は高まり彼を守護代にする画策もなされるようになっていきます。 こうした状況を面白く思わないのが晴景であり、上田長尾氏の政景(謙信の養子景勝の実父)でした。兄弟の対立により越後を二分して争う危機に陥りかけましたが、守護上杉定実の仲介により景虎を晴景の養子にすることで平和裏に解決を図りました。景虎は19歳で守護代を継いだのです。

2.頼られると戦う上杉謙信の戦い

2年後守護上杉定実が跡継ぎのないまま死去しました。この時に景虎が越後の国主として足利将軍義輝より認められました。その後も天文18(1549)年の長尾政景の反乱、弘治2(1556)年の大熊朝秀の乱と在地領主の反乱が続きますが、謙信はこれらをすべて平定し、永禄11(1568)年本庄繁長の乱を最後に38歳にして越後の統一を果たしました。 景虎の国外への遠征は天文21(1551)年関東管領の上杉憲政が小田原の北条氏康に追われ景虎を頼ってきたことに始まります。当初は越後を平定して間もない時期であり、実力は充分には備わっていませんでしたが、頼まれると断れない性格であり、その年のうちに上野に出兵しました。その後も佐竹、里見の諸氏からの出陣の要請もありその都度出陣しています。兵農分離の進んでいなかった当時であり、平定したとみるや早々に退却しているため、その間隙をついて関東諸将の反乱も多く、景虎はその都度出陣しなければなりませんでした。唐沢山城の佐野氏などはたびたび景虎に叛いています。この間、景虎は憲政より上杉の名跡と関東管領職を譲られ上杉政虎、ついで将軍義輝より一字を拝領し輝虎と改名している。謙信の名は彼が後年出家入道したときに名乗ったものです。 有名な川中島の戦いは信玄によって所領を追われた小笠原、村上、島津などの諸氏が景虎を頼って落ち延びてきたことに端を発します。天文22(1553)年より12年間のうちに5回行われましたが、勝負はつきませんでした。特に第4回の合戦が大激戦であり、このとき信玄の弟の典厩信繁(てんきゅうのぶしげ)、山本勘介等が討死します。また景虎と信玄が一騎打ちをしたのもこの時です。

所は変わって北陸方面へは越中守護代の神保氏の専横に対し守護の畠山氏が救援を求めてきたことにより遠征を行います。ここでは一向一揆の勢力に悩まされますが、このころから織田信長の勢力も伸びてきました。 七尾城内でクーデターが起き、長一族は皆殺しにあい、開城されたことで能登もまた謙信の掌中に落ちた同年、手取川の戦いで織田軍と上杉軍は激突しました。結果は圧倒的な上杉軍の勝利に終りましたが、これが謙信の最後の戦いとなりました。時に49歳、死因は様々な説がありますが脳溢血と言われています。

3.謙信の行動基本方針

謙信は、自分からは戦は仕掛けず、必ず大義名分を伴っている。自らを義将と位置づけその戦いを秩序を守るための聖戦と考えていたのです。この方針を支えた上杉家家訓は以下の通りです。

  • 心に物なき時は、心広く体泰(ゆたか)なり
  • 心に我侭なき時は、愛敬失はず
  • 心に慾なき時は、義理を行ふ
  • 心に私なき時は、疑ふことなし
  • 心に驕なき時は、人を敬ふ
  • 心に誤なき時は、人を畏れず
  • 心に邪見なき時は、人を育つる
  • 心に貪なき時は、人に諂ふ(へつらう)ことなし
  • 心に怒なき時は、言葉和かなり
  • 心に堪忍ある時は、事を調ふ
  • 心に曇なき時は、心静なり
  • 心に勇なき時は、悔むことなし
  • 心賤しからざる時は、願好まず
  • 心に孝行ある時は、忠節厚し
  • 心に自慢なき時は、人の善を知り
  • 心に迷なき時は、人を咎めず

4.謙信の発想は現代に通じる。

上杉謙信の生涯は、天性の実力を備えていながら、自分の意思ではなく、周りの人々の願いを叶えるために生涯を費やしていきます。その結果、彼の人生は神聖なものとなり、それが現代まで通じる上杉謙信の人気の秘訣となっています。

この謙信の発想法は現代においても極めて重要です。「儲けるために何をしようか」というのは謙信流ではありません。謙信は、「皆の為に役立つことをしよう。」という意識で働いていた結果、結果的に仕事の上で成功を収めていたのです。」 周りに目を配って、相手の為に行動をしてみてください。結果は後から付いてきます。謙信と同様に!

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