第37話 今川義元に学ぶ|コラム 先人に学ぶ

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第37話 今川義元に学ぶ

1.今川義元とは

今川義元は、今川家の第9代当主であり、織田信長に桶狭間の戦いで討たれた武将として有名な戦国武将です。
今川家は由緒正しい源氏の家柄であり守護として駿河地域に根を張ります。関東の北条家とは北条家初代北条早雲が今川家の助けを借りて関東の覇者となっていった関係で盟友関係にありました。
義元は、その今川家の第7代当主今川氏親の五男として生まれますが、生まれた時には、既に次の当主が決まっていたためで4歳で仏門に出されます。
この義元の人生が変わったのは1536年、既に当主を継いでいた兄、今川氏輝の急死でした。義元は腹違いの弟と家督争いの末勝利し、第9代当主となります。この時、武田家との間に生まれた繋がりが元で、武田家と仲の悪かった北条家(長年盟友であった)と仲違いをしますが、義元はこの問題を解決します。
1551年(32歳)の時には駿河、遠江、三河3カ国90万石の大大名となると、1554年甲斐の武田、関東の北条と3国同盟を結びます。この時が今川家の全盛期です。
この時、「海道一の弓取り」と異名を取る名族今川家は、既に室町幕府が有名無実となっていたこともあり、天下取りにチャレンジをします。1560年22,000の軍勢を率いて上洛を目指します。
しかし、出だしの尾張の織田信長(動因兵力は3,000人程度であったといわれています)によって、有名な桶狭間の戦いで討たれます。享年42歳

2.今川義元の失敗

今川義元の失敗の本質は、慢心ではないかと考えます。つまり桶狭間の戦いは、今川義元の中に精神的な空白が起きたときの出来事なのではないかと考えます。
本来であれば、敵陣に近いところに陣を張ったり、不用意な行いは避けるところ、慢心をして少し精神的に緻密でなくなったところを襲われたと考えられます。
因果応報ですが、今川義元を破った織田信長も天下統一を目前とした時に、わずかな兵を引き連れて本能寺に泊まったときに、家臣の明智光秀に討たれます。これも慢心なのではないかと考えています。

3.慢心が訪れる原因は?

慢心は安心病です。これで大丈夫と思った時、それが慢心であり、その心理的な空白を失敗が襲うのです。
「事業をするには借金をしろ」とか「借金は財産だ」という人がいます。これは慢心を戒める言葉です。しかし皆が借金をすればよいというものではありません。慢心せず、常に高い目標を持ち続けたいものです。

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