第10話 織田信長に学ぶ(その2)|コラム 先人に学ぶ

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蔵人会計事務所HOME > コラム 先人に学ぶ > 第10話 織田信長に学ぶ(その2)

第10話 織田信長に学ぶ(その2)

1.苦悩の連続

織田信長は、48歳で本能寺の変で討たれるまでの間に、天下統一の足がかりを作った人物として有名ですが、人生の前半は、苦悩の連続、忍耐の連続でした。

織田信長は、先代の信秀が信長19歳の時に病気で死亡し家督を継ぎましたが、周囲は敵だらけ、不安定な状況でした。父信秀の代には、最大で5,000人を動員した兵力も信頼できるのは2,000人余、その状態が桶狭間の合戦までの8年間続きました。信長は、苛烈な性格として一般的には知られていましたが、この間の信長は、後の苛烈な行状は一切無く、一に忍耐、二に忍耐、三四が無くて五に忍耐といった状況で、耐えに耐えて過ごします。結果、尾張一国を平定するのに15年の月日を費やしてしまいます(この後、本能寺で死ぬまでの14年では尾張一国の太守から、全国制覇の一歩手前にまで至ることを考えると、長い長い15年でした)。

2.信長はどうして我慢をしてきたか

前半14年間の信長は、味方が次々と裏切るのを寛大な処置で乗り切ります。また、敵を攻略した場合であっても出来る限り城兵の命は助けていきます。武田信玄が裏切った将兵を皆殺しにしたり金山へ労役に就かせたり、女は売り飛ばしたりしてしまったのとは大きな違いです。 これは信長の本意ではありませんでした。後に天下がほぼ平定された1580年(信長47歳の時)、かつて謀反を起こした林・安藤らを追放します。

信長の寛大な処置は、「天下布武」を旗印に掲げた信長の目的に従った行動だった訳です。

3.目的を明確に行うことで出来る人間になります。

仕事を行っているとき、何のためにしているの?と尋ねると、「前任者からやるように言われていますので‥」と明るい声が返ってきたりします。これでは創意工夫されていないので、頼もしい人間にはなり得ません。 仕事を行う前に、「何のためにやるのか?」を良く考え、目的に従った行動を取るためにはどのような段取りが必要かを考えていくことが、非常に大切なプロセスなのです。 「目的・内容を明確に!」を標語として忘れないように心掛けたいものです。

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