第34話 立花宗茂|コラム 先人に学ぶ

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第34話 立花宗茂

1.立花宗茂という人物

(1)劣勢の主家大友家を守り抜いて島津軍と戦う。

永禄10年(1567年)11月18日、大友家の重臣・高橋紹運の嫡男として生まれ、天正9年(1581年)、男児の無かった大友氏の家臣・立花道雪の婿となります。
この高橋紹運と立花道雪とは大友家の二大猛将でしたが、大友家はキリシタン大名として有名な大友宗麟に魅力がなく、最盛期の元亀元年(1570年)には九州6カ国に太守であったものが、その後島津、道明寺、秋月等の諸大名に攻め込まれ、天正14年(1586年)に島津軍が筑前に侵攻してきたときには、高橋紹運の岩屋城(及び宝満城)、立花道雪の跡を継いだ立花宗茂の立花山城を除き、島津家の勢力範囲となってしまいます。大友家に所属していた諸大名がすべて寝返ったためにこのような事態となりましたが、この時、父高橋紹運は大友家を見限らず、岩屋城で全軍全滅します。立花宗茂も父高橋紹運と同様に大友家を見限らず、島津軍と徹底抗戦を決意し篭城。島津数万の大群を寡兵で迎え撃ちます。この後、大友家支援を決定した豊臣秀吉軍が立花宗茂軍を救済に来ますが、この時まで大友家を一切裏切らず立花山城の篭城戦を守り抜きます。この後の働きもあり、豊臣家から直に筑後柳川に13万2000石を与えられ、大友家の家臣(豊臣家から見れば陪臣の立場)から豊臣家の直臣となります。

(2)劣勢の朝鮮の役で味方の命を救う。

朝鮮の役では、寡兵で大軍を相手に夜襲を駆使し、獅子奮迅の活躍を行うが、明将梅柏率いる明軍5万が蔚山城を再攻し(1598年 5月4、5日)、包囲を受けた加藤清正が窮地に陥っていることを知ると、宗茂はわずか1千の兵を率いて救援に行け、5百の兵を率いて夜襲を行い、明軍の包囲網を突破し、加藤清正を救出いたしました。

(3)豊臣家から与えられた恩に報いるために西軍に味方し、敗れる。

大友家の家臣として島津家の猛攻に耐えた立花宗茂は、自分を取り上げ、大名としてくれた秀吉に多大な恩を感じます。関が原の戦いでは、九州諸大名に対し、家康から大禄での誘いが掛けられましたが、この誘いに一切乗らず、あくまで豊臣家のご恩に報いるという立場を貫きます。宗茂自身は、関が原の戦いには参加できませんでしたが、西軍の敗北と共に敗軍となり両国柳川に帰国、その後お家取り潰しとなります。

人間としての筋(忠義)を愚直に守り抜いた男でした。

2.忠義を通した結果

(1)加藤清正の対応

加藤清正は、朝鮮の役で宗茂に命を救われましたが、律義者の清正はこの時の恩に報います。 関が原の戦いの後、敗軍となった立花家は徳川家康の命により隣国の鍋島家に攻められますが、これを加藤清正が仲裁します。その後、清正は宗茂の命乞いを家康に行い、許され熊本に宗茂を引き取ります。まさに恩返しをしてくれたのです。

(2)家臣達の対応

加藤家に100人余の家臣と共に食客となった宗茂でしたが、加藤家家臣の中には徳川との間をこじらすわけには行かないという考えのものもいて、加藤家を出ることを決意し京に上ったのですが、この時、宗茂の生活を同行した家臣団が懸命に働き生活を支えることになります。宗茂の一本気でさわやかな性格に惚れた家臣団の何とも健気な対応でしたが、これが江戸に移り、徳川秀忠の話し相手として禄を貰う(1603年)までの間続くことになりました。

(3)徳川秀忠の対応

徳川秀忠は戦国時代の生え抜き武将から話を聞くことを望み、秀忠の下には様々な武将が話しに来ましたが、立花宗茂はこの話し相手の一人として仕えました。 この時、立花宗茂の筋を通す爽やかさ、律儀さに秀忠も惹かれていきました。 まもなく陸奥棚倉に1万石で大名に復帰すると次第に加増されます。大阪夏の陣では秀忠の参謀として参戦し、家康の死後、旧領柳川で10万9,200石の大名に復活します。関が原の戦いで西軍として働き、お家取り潰しとなった大名の中では全く稀有の存在となりました。

この他にも領民や他の武将など様々なものから慕われる存在でした。

3.立花宗茂の成功の本質

立花宗茂は下克上の戦国の世の中では稀有の忠義の男です。あくまで忠義を尽くすことを前提に自分の活動を決定していくのです。当初は大友家、その後は豊臣家、そして最後に徳川家。これが彼の成功の本質です。

ちゅうぎ 【忠義】 (名・形動)[文]ナリ
主君や国家に対して真心をもって仕える・こと(さま)。忠節。忠誠。
「―を尽くす」「―な家臣」「―者」

この成功の本質は現代にも当てはまります。

  1. 居酒屋で同僚を相手に悪口を言うのではなく、誠意を持って上司と話し合う。
  2. 駄目だったら辞めるのではなく、駄目にならないためにはどうしたら良いかを考える。
  3. 失敗したときの責任を恐れるのではなく、成功を上げるためにはどうしたら良いかを本質的に考える。

忠義の原点は、「上司と同じ視点で考えること」です。この考え方をマスターする人は多くはありません。多くないということは実践をすれば成功が近いということです。是非、実践をしてみてください。

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