第15話 坂本竜馬に学ぶ|コラム 先人に学ぶ

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第15話 坂本竜馬に学ぶ

1.坂本竜馬とは

坂本竜馬は幕末の天保6年(1835)11月15日に土佐の郷士(ごうし)の家に生まれました。郷士とは関ヶ原の戦いで敗れた長宗我部家の旧臣を指し、関ヶ原後に土佐に入植してきた山内家の家臣である上士(じょうし)とは日常の服装に至るまで厳格な差別が存在しました。

当時の坂本家は経済的に裕福な家であり、学問を尊ぶ家風でありましたが、竜馬は活発な姉の影響からか剣術にのめり込んで行きます。14歳の時、「日根野弁治道場」に入門し小栗流剣術を学び19歳で「小栗流和兵法事目録」一巻を伝授され師範代に上り詰めますが、更なる剣術修行のため江戸へ向かいます。京橋桶(おけ)町の北辰一刀流千葉定吉道場に入門し、北辰一刀流の目録を取得するに至りますが、この江戸行きに伴って様々な幕末の流れに身を委ねることになります。

ジョン万次郎を世話した河田小龍と出会い西洋を知り、幕末の勢いに乗り脱藩、土佐勤皇党に加入し新撰組に命を狙われる存在となります。一方、開明思想家(開国を主張する)勝海舟の命を狙いに行った時に、反対にその勝海舟と意気投合、幕府の神戸海軍操練所創設に尽力し、日本初の株式会社である亀山社中を創設します。  そして最後の大仕事が「薩長同盟」、「大政奉還」に尽力したことです。33歳の若さで何者かに暗殺されて死にます。

2.坂本竜馬の人間性

坂本竜馬の人間性は「行動的で物事に熱く、真偽の判断は自分の感性に従う男」です。 竜馬の人間性を最もあらわしているのが勝海舟との出会いです。  
「文久二年十月頃、福井藩主松平春嶽(しゅんがく) の添状を持って千葉重太郎(道場主、定吉の子)とともに赤坂の勝邸を訪ねた。当時海舟は一流の開明思想家であり、幕府軍艦奉行並の職にあった。

海舟の『追賛一話』には、こう書かれている。

坂本氏、かつて剣客千葉重太郎を伴い、余を氷川(ひかわ)の 寓居(ぐうきょ)に訪ねえり。時に夜半。余、為にわが邦(くに)海軍の興起せざるべからざる 所以(ゆえん) を談じ、びび(根気よく)止まず、氏、大いに会する所ある如(ごと)く、余に語りて曰(いわ)く、今宵のこと、ひそかに期する所あり。もし公の説いかんによりては、あえて公を刺さんと決したり。今や公の説を聞き、大いに余の固陋(ころう)を恥づ。請う、これよりして公の門下生とならん、と。爾来(じらい)、氏、意を海軍に致す、寧日(ねいじつ)なし。(寧日=平穏無事な日) 」  つまり竜馬は勝海舟を殺しに行ったのであるが、反対に海舟のアメリカ帰りの実地の体験と、その視野の広さと思考力の深さからくる海軍建設と貿易振興の理屈に感動させられてしまう。これより海舟を師と仰ぎ、土佐藩脱藩浪士など多数を海舟門下生に引き入れ、片腕となって文久三年の神戸海軍塾創設、運営に力を注いで行きました。

3.坂本竜馬に学ぶ

坂本竜馬の人間性は幕末という特殊な時代による影響を多分に受けてはいますが、現代にも共通する人間性を有しています。

  • 行動的で物事に対して熱い。
  • 常にバランスの良い視点で物事の良否を判断する。
  • 間違いは素直に謝り、解決を図る。

簡単に思えて簡単で無いこの3つをさらりとやってのけるスケールの大きさが日本国を動かしたのです。小事を忘れ大事を憂う。そんな人間になりたいものです。

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