第11話 信長と秀吉、家康に学ぶ人事政策|コラム 先人に学ぶ

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第11話 信長と秀吉、家康に学ぶ人事政策

「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」織田信長
「泣かぬなら泣かしてしまえホトトギス」豊臣秀吉
「泣かぬなら泣くまで待とうホトトギス」徳川家康

3人の性格を良く言い表した言葉として現代にまで語り継がれていますが、これらのリーダーの人事政策を見てみます。

1.織田信長

織田信長は、百姓の出であった豊臣秀吉を重用し、本能寺で非業の死を遂げる直前では、姫路城を与え、実に122万石の大大名にまで抜擢していました。

(特徴1)

権限と報酬を一致させる。この信長は、使えると見たならば徹底的に重用し、権限を与えると共に、相応しい報酬を支払う形を取りました。結果が毛利に対抗する権限を秀吉に与え、同時に122万石の身代としたのです。

(特徴2)

現在の活躍に現在の報酬、権限を一致させる。また、過去に活躍をしたが、現代では働きが鈍った重臣に対しては非常に冷酷に接しました。多大な報酬は今の活躍より生まれる。過去の活躍は現代において何の意味もなさないと考えたのです。現代においては成功企業であるマイクロソフト社がこのような人事政策を採用していることは有名です。

2.豊臣秀吉

豊臣秀吉は、織田信長の人事政策をつぶさに見てきました。秀吉は信長とは少し趣の異なった方策で人事を処します。秀吉の泣き所は、出自が卑しいこと、譜代の家臣を持たないことであり、成り上がりの自分が気位の高いメンバーを制して天下を取るために、報酬と権限の分離を考えます。

(特徴)

権限と報酬の分離を図る。 徳川家康を関東に移封し、政権から遠ざける一方で、266万石の大身代とした一方、政権の中枢にいる石田三成は、大阪に近い佐和山城を居城とし、禄高は19万石に過ぎませんでした。しかし秀吉が病に倒れるまでの政権中枢は石田三成によって動かされたに等しい状況があり、政権中枢の権限を与えられている者程禄高は低く、一方で政権中枢から遠い者程、禄高は高いというのが方針であり、秀吉の小姓出身の福島正則(尾張24万石)、加藤清正(肥後25万石)等と比べても、この方針は徹底されています。 現代においてはあまり当て嵌まらなくなりましたが、官僚の給料は安くなっているのも同じ人事政策です。

3.徳川家康

徳川家康は、時代が平和に向かいつつあった状況で政権に一番近い場所に君臨していました。結果、信長のようなベンチャー経営者のような人事政策も必要ではなく、また、秀吉の失敗が、遠い大名に多くの禄高を与えることであるのも知り抜いていましたので、多くの直轄地を持つことになります。水戸、紀伊、尾張等の防衛上の要衝は全て直轄地とし、ここに御三家が生まれました。

(特徴)

(秀吉の延長線上)出来るだけ報酬を削減する。因みに家康に過ぎたるものは「本多忠勝」と言われた徳川四天王の一人「本多忠勝」、領地は江戸に近い上総大多喜城(現在の千葉県大多喜市)を居城としていましたが、禄高は10万石、家康の方針が貫かれています。

現代の経営になぞらえると、

大企業は殆どの企業で家康の方針が貫かれています。没個性、あまり給料は高くありませんが、大企業のブランドが活かせるというのが家康流の経営です。秀吉は、出来るだけ外部の優秀な人材を高い報酬で抱えておく、ハリウッドに代表される映画会社のような人事方針です(現代でも俳優が監督になったり、映画会社を作ったりしています。やはり豊臣政権は倒れるべくして倒れました)。

そして信長は、紛れも無くベンチャー気質です。ただ残念なのは、過去の成功体験を処遇してあげる制度が、信長在世中に存在しなかったことです。当時に株式会社制度があれば、報酬と株式を使い分けることによって、現代のソフトバンクや楽天を凌ぐ大ベンチャー企業を作った天才であったかもしれません。

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