第1話 豊臣秀吉に学ぶ
豊臣秀吉といえば、企業競争が熾烈な現代と時代背景が似ている戦国時代に、百姓から成り上がり関白にまでなった人物です。立身出世をする様は、多くの日本人に愛され、何度もNHKの大河ドラマで取り上げられています。今回は、この豊臣秀吉がどうして大出世をしたのかについて考えてみたいと思います。
1.豊臣秀吉の立身出世のエピソード
豊臣秀吉が立身出世をする際のエピソードは数多くありますが、なかでも重要な転機となったものを挙げてみましょう。
- 柴田勝家らが「ひと月かかる」と言った清洲城の城壁修築を3日で完工。
- 美濃の斉藤の勢力下にあった長良川の三角州・墨俣に一夜にして築城。
- 浅井・朝倉に挟み撃ちに合った時に殿(しんがり)を務める。
- 信長の訃報に際し、毛利と交戦中の備中高松城からわずか5日で200kmの距離を移動し、山崎合戦(天王山)で明智光秀を破る。
- 賤ヶ岳での佐久間盛政の奇襲攻撃に対し、大垣から木ノ本まで52kmをたった5時間で移動。柴田軍を壊滅させた。
2.エピソードに共通するもの
これらに共通するテーマは、「タイミング」です。豊臣秀吉は「人たらし」等と呼ばれていましたが、相手の気持ちを察知し、相手の気持ちを先回りする名人、何事にかけてもタイミングの良い人だったのです。
3.人たらしの考察
賤ヶ岳の戦いで、前田利家が戦わずして敵前逃亡し、自分の城に逃げ帰ったときの出来事です。秀吉としては、百姓出身ということもあって、人望にやや欠けるところがあり、律義者の前田利家は殺すに惜しい人材です。しかし前田利家は戦わずして戦線離脱したと言えども敵の柴田勝家軍の中心的武将でした。賤ヶ岳の戦いに勝利した秀吉は、柴田勝家を攻め滅ぼすために北上する途上で前田利家の居城に立ち寄ります。前田利家は篭城も覚悟していましたが、来たのは秀吉ただ一人、これこそが秀吉の用意した人たらしのエッセンスになります。
秀吉は前田利家を、以下のように分析したのでしょう。 「前田利家は律義者で通っており、信義に厚い性格を持っている。恩を受けたことは決して忘れず、恩に感じる性格を持っている。腹に思ったことは我慢できずにストレートに言う反面、竹を割ったような性格を持っており、周囲の人望が厚い。また、決して騙まし討ちをする人物ではない。」こう分析した秀吉は、単身で利家居城の府中城に乗り込みます。攻め殺されることを覚悟していた前田利家は「おみゃあが頼りなんじゃ」と訴えかけられ、結果、前田利家は5大老という豊臣政権の中枢をしめる大大名になっていきます。
4.相手の気持ちを察知するのが基本
以上、秀吉を見て来ましたが、人間関係の基本は、相手のことを良く考えることです。相手はどんなことを考えているのか、どんな状況にいるのか?等、恋愛するときには当たり前に行っていることも日常的に出来ている人は少ないものです。恋愛と同様、相手の気持ちを常に考えることが出来れば、秀吉になることも夢ではないと考えています。