第25話 鳥居強右衛門勝商に学ぶ
1.鳥居強右衛門勝商とは
初代鳥居強右衛門勝商(かつあき)は三河国長篠城主 奥平貞昌の家臣で、長篠の戦いの時に大活躍しました。
天正3年(1575)、長篠城は武田勝頼の大軍に囲まれ、食料も乏しく、苦戦していました。そこで城主の貞昌は籠城作戦を展開することになりました。食料も底をついてきた時に城兵を集めた奥平貞昌は、矢玉はあるが兵糧は4日と持たない状況となった旨を皆に知らせました。
救援の使者を選任する段階で、名乗り出る者は誰もいませんでしたが、沈黙の末、鳥居強右衛門勝商が名乗り出ます。この時点で城内には70人足らずの武将と雑兵がいるだけでした。ちなみに鳥居強右衛門は雑兵でした。
2.長篠城脱出
5月14日の未明、強右衛門は密かに野牛郭の不浄口(下水口)から城外に出ました。この場所は対岸に居る武田軍から見える位置にありましたが、汚水を流す口の為、日頃から城兵もあまり立ち寄らなかったので敵の警戒も薄かったのです。強右衛門は折からの霧雨を幸いに、城の西の岩石を伝わって岸辺に降り、滝川(現在の寒狭川)を下ります。武田軍は、川の中にも網を張っていたが網を切って激流の中を4?qほど下り、茂みの飛び出た場所を選んで岸に這い上がって脱出に成功しました。それから数時間後に雁峰山で狼煙(のろし)を上げ、城兵達は脱出に成功したことを知り、歓喜に包まれました。
3.引き返し、武田軍に捕縛
岡崎で徳川家康と織田信長に会って、援軍を頼みました。ただちに援軍を出すとの返答を受けて、強右衛門は長篠に戻りましたが、城中に入ることができず、武田軍の捕縛にあいます。
武田軍は、「援軍は来ないと大声で伝えよ、そうしたら命は助けてやる」と強右衛門を城門前に連れて行きました。 そこで強右衛門は大声をあげて「近く、徳川・織田連合軍が助けにやってくる」と叫びました。これを聞いて城内は大喜びし、激怒した武田軍はすぐに強右衛門を殺してしまいました。
結果、長篠城は武田軍に落ちず、その後の長篠の戦は、織田・徳川連合軍の有名な鉄砲の3段撃ちにより大勝利となり、武田軍は滅亡へと向かうことになります。武田軍滅亡のターニングポイントとなったエピソードです。
4.鳥居強右衛門勝商に学ぶ
現代では、働く人が、自らの損得(キャリアアップを図るため等)で所属する会社を選別する動きが少なからず見受けられます。そんな方はこう言うでしょう。個人が自己実現を図り、レベルアップすれば会社に貢献が出来る。会社は利益を上げ、その利益がレベルアップした個人にフィードバックされる。これはある意味で正しい意見です。 しかし私はこの意見に若干反対です。個人プレーの集合体が組織なのではなく、組織はあくまで組織目標という統一的な目標を目指さねばならないと考えています。 そして(組織の中の)個人は、組織の目標を達成するために何をすべきかを考え、その目標に向かって精一杯頑張ることを目標とすることが、前述の個人のキャリアアップを図ることよりももっと個人のキャリアアップに繋がるのではないかと考えています。
- 組織目標を達成するために何をすべきか
- 組織目標を達成するために皆の考えをどのようにまとめていくか
- 組織目標を達成するためにすばやく変革をするにはどうしたら良いか
これらを一生懸命考えた結果、組織目標が達成されれば「実績」というかけがえの無いキャリアと共に、「周囲の信望」という付加価値が付くのではないかと考えています。