第13話 張良に学ぶ
1.張良とは
張良とは中国の漢を作った劉邦の謀臣であり、字を子房といい、その祖先は韓の人で、祖父、父は五代にわたって宰相の家柄でした。
(始皇帝で有名な)秦が中国平定をする途上、韓を滅ぼしましたが、当時若かった張良は亡国の仇を報いるために、全財産を傾けて秦王(始皇帝)を倒す刺客を求めました。そして始皇帝の巡幸の途中、暗殺を試みましたが失敗し、張良は追われる身となりました。
そんなある日、張良が散歩しながら橋の上まで来た時、粗末な服を着た老人と出会いました。老人は彼の方に近寄ってくると、わざとはいていた履を橋の下に投げ捨ててみせました。そして張良を振り返ると、履を拾ってきてくれと言います。張良は驚き怒って老人を殴ろうとしましたが、年寄りだと思って我慢して、橋の下に下りて履を拾ってきて、老人にはかせてやりました。すると老人は笑って去って行きました。張良があきれて見送っていると、老人は引き返してきてこう言いました。
「若いの、教えてやる事がある。五日後の夜明け、わしとここで会うことにしよう」
張良は不思議に思いながらも承知し、五日後の夜明けにでかけていきました。彼が橋の上に来ると、老人はすでに来ており、張良をみて怒りました。 「老人と約束しながら遅れてくるとは何事だ。帰れ。五日後、朝早く会おう」
五日後の鶏鳴の時、再び張良がその場所に行くと、またもや老人の方が先に来ていました。老人はまた怒って、五日後にまた早く来いと言った。
その五日後、今度は夜半に出かけることにしました。しばらくすると老人がやって来て、一編の書巻を取り出しました。「これを読めば王者の師になれるだろう。お前は十年後に起ち上がり、十三年後に儂に会うことになる。済北の穀城山の麓にある黄色い石がこの儂なのだ」 老人はそう言って去っていきました。張良がその書物を見ると、それは太公望の兵法を記した『太公兵書』でした。その後張良は、暇さえあればそれを読み、兵法の勉強を積んだのでした。そしてこの兵法書との出会いが彼の運命を変えることになります。張良は劉邦に対し、しばしば『太公兵書』の説を説きました。劉邦もそれを喜んで聞いて用いました。そのため張良は、「沛公(劉邦)は天授の英傑である」と思うようになっていき、様々な献策を行いました。こうして沛公は張良の献策にしたがい、徐々に秦軍を追い詰めて藍田(現在の陝西省)まで行き、遂に秦軍を敗走させたのでした。
2.太公兵書から張良が学んだもの
張良が太公兵書から学んだ思考法は、常に先の先を考えて手を打ち、手順を作り、基礎を一つずつ築いて、すべての物事を未然に始末をするということでした。囲碁や将棋と良く似ており、現代ではそのような考え方は決して新しいものではありません。
複雑な条件の下で、自分の目標を定め、その目標を達成するために障害となっているものを考え、取り除き、目標を実現させるのがこの考え方なのです。
3.現代で実行できているか?
この張良の学んだこの先の先を考える思考法は、考え方は理解されるものの決して多くの人に取り入れられてはいません。
多くの人々は、目の前の事柄が結果として終わらなければ、その次に出現する内容を理解できないのです。したがってこのような考え方を体現できる人々は、多くの場所で求められています。勿論、仕事のみならずプライベートな生活でも将来を安心して暮らせるための設計が出来る人は求められています。 家庭生活の中で将来を見通せる人は家庭的な証です。
家庭的な人は妻や子供の先々を考えて必要な手立てを行います。このような人は、その日暮らしの寅さんよりも家族は安心するのです。
4.先を考える思考法を実践するには
先を考える思考法を実践するにはどうしたら良いでしょうか? 家庭的な夫を頭に思い浮かべてください。その夫はどのような人でしょうか? 様々な形容が出て来るでしょうが、皆に共通の言葉があるとすれば「思いやりのある人」では無いでしょうか?
つまり、相手の気持ちを考えることの出来る人は、先を見通せる目が持てるのです。
相手の気持ちを考え、将来を見通し、豊かな人生を送っていただければ幸いです。